青森ツーレポ(15)新郷村(2)
2013-05-03



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【注意!】キリスト教徒の方はご覧にならないことをお勧めします。

さて、ゴルゴダの丘を登る前に、この公園の全貌を確認しておきます。
これが全体図です↓
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墓は二つあって、キリストはんイスキリはん
このイスキリはんは、キリストはんだそうですが、聖書には出てこないそうです。

ゴルゴダの丘を登り詰めると、ソレはありました。
 ↓
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右がキリストはんの墓、左はイスキリはんの墓。

さらに階段を上がっていきます。

↓これがキリストはんのお墓。私は二回目の対面です。
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十字架は木製です。盛り土とか白い柵は最近作ったっぽい。

後ろを見ると、そこには弟のイスキリはんのお墓があります。
 ↓
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二人のお墓の写真の右上付近(赤矢印部分)には何か白っぽいものが写っていますが、
これはレンズに付いた水滴です。雨が降っていましたから。
決して、心霊現象ではありませんので、誤解なさらぬよう。

では、この墓の由来を解説します。心の準備をお願いします。

イエスキリストはんは21歳のとき、日本に渡り12年間、神学について修行を重ね、
33歳でユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いました。
しかし捕らえられ、十字架の刑を受けることになります。
この時、弟のイスキリはんが身代わりとなり、キリストはんは脱出したのでした。
哀れイスキリはんはそのまま刑死なさいます。
キリストはんは、ユーラシア大陸を横断し、再び日本に戻ってこの戸来村に定住します。
名前も十来太郎と改め、ミユ子という20歳の女性と結婚し、3人の娘ができます。
その後天寿を全うし、亡くなった時は106歳でした。。


以上は、キリストはん遺言状に書かれているのだそうです。
何と言ってもキリストはんの生涯ですから、西暦できっかりとAD000年からAD106年までのお話。
日本では第11代垂仁天皇のとき。まだ大和朝廷すら成立していません。

このお話にツッコミを入れることは極力避けたいのですが、しかしこれだけは問わねばなりません。

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