三内丸山遺跡に建てられている時遊館には展示スペースがあって、出土品が展示されていました。
今回はそれらを中心にお伝えします。
たくさんの展示物の中でインパクトがあったのは↓これ。
後ろの段にいくほど時代が新しくなっていきます。
この三内丸山遺跡にあった集落は、約1900年続いたらしいです。
それだけの時間で土器の形がちょっと変わった程度の変化ですか。。。
イノベーションというものが感じられませんなぁ。。←むちゃ言うなよ。
これと比べると、昭和から平成までの進歩が如何に凄まじい早さかわかりますね。
ゆったりと時間が流れてた縄文時代、それはそれで羨ましい気もします。
なお、縄文後期には三足土器と呼ばれる足付きの土器に進化しますが、←これがイノベーションか?
これは青森県内の他の遺跡で出土していて、縄文前期から中期の三内丸山では出土していません。
ちなみに今でこそこうやって復元されてますけど、
発掘時はこんな↓状態でした。
こんな状態の破片をまさに立体パズルのように根気よく復元していったんですねぇ。。
この破片は、発掘収集後、いまだにすべて整理されていないようです。
段ボール箱で
2万6千箱あったそうですから。。
2年前には↓こんな報道がありました。
縄文中期の土器片に人物画 青森・三内丸山遺跡で初 2011/07/08 共同通信
[URL]
<引用>青森市三内丸山の三内丸山遺跡で出土した縄文時代中期後半(約4300年前)のものとみられる土器の破片に人物が描かれていることが分かり、青森県文化財保護課が8日発表した。</引用>
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この土器片は1993年に出土したものですので、
18年経ってから分かったということになります。
つーことは、まだまだ新しい発見が期待できるということかもしれません。
これは発掘当時の航空写真↓
なんと、遺構だらけじゃありませんか。。
今では代表的なものだけを残し、全部埋め戻してしまってます。
あーあ、なんかもったいない。。。
ちなみに右隅に見えるのは、建設途中の県営球場。
工事を中止したため、青森県は建設会社に4億円の賠償金を払ってます。
ここへ来て初めて認識するようになったんですが、土器を持つということは移動生活から
定住生活へ変わった証明になるそうです。なるほど。。うん、たしかにそうだ。
縄文時代は1万年続いていますので、稲作が始まる弥生時代までの間、狩猟と採集だけで
定住生活が1万年続いたということになり、これは世界に例がないそうです。
1万年ですよ、1万年。世紀でいえば100世紀です。
縄文時代がいかに特異な時代か、それがヒシヒシと感じられました。
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