中部ツーリング(21)馬籠宿
2014-09-02



なんと正面からクルマがやってくるじゃありませんか。びっくりした〓
車両通行禁止時間は過ぎてますから、許されるわけですけど。。やっぱこの風景にクルマは似合いませんなぁ。。


↓さて、上入口までやってきました。
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下入口から上入口までの長さは600mですが、下入口まで戻らなきゃいけませんので、歩く距離は当然倍になります。

下入口と違って、上入口は↓このように駐車場がありません。
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県道7号を横切る横断歩道の先は、↓こうなってます。
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中山道が続きます。このまま進んでいくと馬籠峠を抜けて妻籠宿へ続くわけですね。

さて、中山道は江戸時代に整備された五街道の一つですが、街道自体はその前からありました。
徳川秀忠が信州・上田城攻めに失敗し、関ヶ原の合戦に間に合わなかったというのは有名な話ですが、間に合わなかった理由は城攻めの失敗だけにあるのではなかったようです。4万の大軍が通るような道ではなかったことと、情報伝達がうまく行かなかったことも大きな要因らしいです。
この反省から、家康は江戸幕府を開設した翌年には街道整備を始めています。
街道整備の要点は、路面整備・一里塚の設置・宿場町の造設の三つ。

↓中山道の全体図はこれです。
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全部で69ヶ所に宿場町が作られました。東海道の53ヶ所より多いです。42、43番目が妻籠宿・馬籠宿です。

1892年(明治25年)に明治政府が国道7号(現19号)を作ったため、妻籠宿・馬籠宿はそのルートから外れます。
さらに1912年(明治45年)には国鉄中央本線が開通したため、宿場町としての使命は終わってしまいました。
使命が終わってしまってから100年が経つというのに、まだこうして風情を残してくれているのですから、考えてみりゃすごいことです。

そのすごさは、次の妻籠宿でさらに実感することになります。


中部ツーリング(22)妻籠宿


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