二条城を純粋に観光で一周する
西本願寺から北に約2kmほど歩くと二条城があります。修学旅行の定番ではないでしょうか。
私も遠い遠い昔に修学旅行で訪れたことがあります。息子も中学の修学旅行で来たそうです。
ただその時は、日本史に深い関心がなかったため、なんとなく回って終わり....ってな感じでした。
しかし、京都タワーと同い年となった現在は違います。
日本史を肌身で感じながらじっくりと堪能してまいりました。
二条城は1601年、徳川家康の命で作られた城ですが、1867年に大政奉還が行われたため、所有者が江戸幕府から朝廷に変わり、名称が二条城から「二条離宮」となります。その後、昭和に入ってから京都市の所有となり、「元離宮・二条城」として一般公開されています。
基本的に徳川将軍が上洛するときだけ使われる城です。まぁ別荘みたいな位置づけでしょうな。。
まず目にするのが、↓この櫓。東南隅櫓です。
四隅の櫓のうち、これと西南隅櫓の二つが現存し、他は焼失しています。どちらも重要文化財です。
ちなみに同じ名称の櫓が名古屋城にもあります。
↓これは江戸城の巽櫓。そっくりですよねぇ。
↓入口の東大手門です。重要文化財。入場料は大人600円でした。
二条城への一般観光客の入口は、この東大手門だけです。
今年12月2日から2月28日まで改修工事のため閉鎖され、入口が北大手門だけに変更される予定です。
↓東大手門を抜けると番所があります。
門を抜けてすぐ番所が現存している城って珍しいです。江戸城、掛川城、丸亀城ぐらいじゃないでしょうか。
たいていは現存していても他へ移築されたりするんです。廃城になれば邪魔っつーことなんでしょうかね。
↓二の丸御殿前の唐門です。重要文化財。
元離宮ですから、菊花紋章が燦然と輝いておりました。
↓唐門を抜けると、国宝・二の丸御殿です。
初代・徳川家康が将軍就任の祝賀の儀を行なったのが、この二の丸御殿です。当時はまだ本丸御殿は建築されていませんでした。そして、15代・徳川慶喜の大政奉還の決定もここですから、江戸幕府はこの二の丸御殿に始まり、二の丸御殿で終わったということになります。
ちなみに徳川慶喜の将軍在位期間は徳川将軍の中で最も短い1年間だけでしたが、在位中はずっと二条城に居て、一度も江戸城に行っていません。幕末の動乱期にその現場から離れることができなかったんだと思います。
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