■■ 日本にたった二つしかない五稜郭が信州に ■■
信州に入ってから、松本城・上田城・小諸城と巡ってきました。
今回はそのラストです。
ほとんど知られていませんが、小諸市のお隣の佐久市にも城趾があります。
それが龍岡城趾です。
位置関係は↓こうなってます。
上田城・小諸城とほぼ等間隔に位置しています。
ただし時代的には両者と全く違ってます。
上田城は1583年、小諸城は1554年。龍岡城は1867年でおよそ300年ずれてます。
1867年というと大政奉還の前年じゃないですか。。
築城したのは、松平乗謨(のりかた)。三河の奥殿(おくとの)藩の藩主です。
奥殿藩は今の静岡県岡崎市辺りにあったそうです。
石高わずか1万6千石の弱小藩でしたが、信州佐久に分領地を持っていたんですね。
幕末の動乱を避けるため分領地に拠点を移して築城したのが、この龍岡城です。
藩庁も移したので、分領ではなく龍岡藩に格上げとなりました。
そんなわけで幕末の築城ですから、他の城と違った特徴があります。
それが、五稜郭だという点。五稜郭と言えば、函館しか知られていませんが、実は日本には五稜郭が二つあって、
函館ともう一つがこの龍岡なのです。
このことは20年以上前から知っていたので、訪れるのは実は今回が三回目になります。
ちなみに函館五稜郭が完成したのは、龍岡城の前年の1866年。ほとんど同時期です。
ただ、大きさは函館の方が二倍の面積があります。
さて、龍岡城の所在地は↓ここ。
県道沿いにあるように見えますが、県道からは行けません。
県道から一車線の細い道を入っていかないと辿り着けません。
細い道を進むと↓こういうのが現れます。
たぶん、ここに城門があったんだと思います。
つーことは、ここから城内ということになりますが、周りは田んぼばかりでとても城内という感じはありません。
↓少し進むと、駐車場がありました。
これ、昔はなかったんです。整備されたみたいですね。休憩室兼資料室のような建物もありましたが、すでに午後6時を過ぎていたので閉館していました。もちろん他に観光客はナシ。
さて、上空から見ます。↓
赤丸●が城門の位置、青丸●が駐車場の位置です。
ほんとに田んぼと畑に囲まれてますなぁ。。
よく見ると、堀がない部分もありますね。実は未完成なのです。やっぱり1万6千石では無理でしたかねぇ。。
ちなみに函館の五稜郭を築城したのは、藩ではなく江戸幕府です。あ、やっぱりね。。という感じ。
↓これが入り口。出入り口は他にもありますが、これが正門(大手門)です。
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