午後5時を過ぎて、そろそろ宿泊のことが気にかかってきます。
何と言っても、健康プラザ不毛地帯です。
今日もまた寝床を探さねばなりません。
国道178号を鳥取市へ向かって走っていると、途中で高速道路のような自動車道がありました。
鳥取豊岡宮津自動車道です。鳥取市と京都の天橋立までを結ぶ自動車道ですが、部分的に開通しているようです。(無料♪)
余部まで5kmと書いてありますね。
余部というと、余部鉄橋を思い出します。80年代に列車の転落事故が起こった鉄橋です。
大きく報道されたし、今までに見たこともないような鉄橋だったのでよく覚えています。
これが余部鉄橋↓
東洋一の鉄橋と言われました。
しかし、この時は急いでたこともあり、気に留めることもなくスルーでした。
無料の自動車道を快適に飛ばしますが、開通は余部まで。そこからまた一般道に降ります。
すると、目の前に現れた光景が↓これです。
ひと目で、もしやこれが余部鉄橋では!?と思いました。
コンクリート橋に変わっていますが、鉄橋の一部が見えます。
まさか、真下を通ることになるとは思ってもみませんでした。
鉄橋の下には、道の駅もありました。
ここまでお膳立てされると、寄って行かずにはおれません。
反対側から見ると、確かに鉄橋があります。完全に撤去されなかったみたいですね。
コンクリート橋になったのは、つい最近の話で、2011年だそうです。
↓鉄橋の土台部分も残されていて、公園に整備されています。
↓反対側を見ると、鉄橋の一部が展示されていました。
案内板を読むと、余部鉄橋は相当貴重な存在だったようです。
ま、たしかに素人の私が覚えてたぐらいですからねぇ。。
いろんな研究施設にも、研究材料として提供されたそうです。
道の駅の隣には、↓こんなものもありました。
ほとんど観光スポットのようになっていますね。。
↓真下には転落事故の慰霊塔がありました。
2010年で最終法要を終えたそうです。
余部鉄橋が完成したのは、1912年(明治45年)で、その時はこの余部は通過するだけだったらしいです。
三方を山に囲まれた余部という町は、陸の孤島でした。
そこで何度も陳情を繰り返して、鉄橋完成から47年目の昭和34年に余部駅ができたんですって。
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