青森ツーレポ(1)へ
さて、いよいよ帰路に着かねばなりません。
なにせ、まだこんなところ↓にいるんです。
仙台よりはるかに北。。
江刺を離れ、東北道をひたすら南下します。
天気は快晴。
最終日になって、ようやく天気を気にしないで済みそうです。
帰りの東北道はいつも長く長く感じます。
いくら走っても関東が近付いてこない気がします。。。
途中、立ち寄ったPAでの一枚↓
バイク置き場から溢れたバイクがずらり。半分以上がハーレーです。
さすがにこれだけハーレーが並ぶと、我が愛車も可愛く見えます。(一番奥ね。)
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さて、福島市の少し北にある国見PAに寄った時、レストランの裏に展望台らしきものがあるというので
行ってみたら、↓こんなものがありました。
「日本三大合戦のひとつ、奥州合戦」と書いてあります。
あと二つは、関ヶ原の合戦と戊辰の役だそうです。
へぇぇぇ。そーなのかー。。ひょんなところで、また知らない知識が増えました。
一応、実際の場所を写しておきます↓
ここで824年前に合戦がありました。奥州藤原氏と源頼朝軍が戦ったところです。
この合戦で源頼朝軍が勝ち、藤原氏は滅亡しました。
結局、平泉の栄華は、藤原4代、約100年で幕を閉じることになります。
そしてこの3年後に鎌倉幕府が成立しました。
同時にこの合戦で戦功のあった武将が伊達家を興します。
これが後の仙台藩主・伊達正宗に繋がるわけです。←くどいようですが、米沢の嫌われ者。
しかし、日本史っていろんなところで繋がってますねぇ。
と、ここまでは現地でわかりました。
しかし、家に帰ってから調べてみると、日本の三大合戦は、
関ヶ原の合戦・戊辰の役・奥州合戦
ではなく、
関ヶ原の合戦・川中島合戦・筑後川の合戦
の三つだという意見が多いようです。どっちが正しいんでしょう?
気になるので調べました。
合戦の規模は軍勢の数で決まります。有名な戦の軍勢は次のとおり。
関ヶ原の合戦:東軍72,000+西群84,000 =15万6,000
筑後川の合戦:南朝軍40,000+北朝軍60,000 =10万
奥州合戦:藤原軍20,000+源頼朝軍25,000 =4万5,000
長篠の戦い
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