さて、角館の武家屋敷を十分堪能すると、
「他の通りの武家屋敷はどうなってるのか?」
という当たり前の疑問が生まれます。
そこで、一本隣の通りを歩いてみました。
そこには時代の変遷を感じられる風景がありましたので、それを報告します。
まずは表通りの武家屋敷を改めてご覧ください。
↓岩橋さんちです。「わしら武士やで」って感じですね。
さて、それでは一本隣の通りを歩きます。
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モダンな感じに建て直されてますが、一目で武家ってわかります。
時代は変われど、「わしら武家やったで」という主張が感じられます。
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これも一目で武家ってわかりはしますが.....
よーく観ると、家屋は普通です。ま、我が家とそんなに変わりません。
門だけが「わしら武家やったで」と語っています。
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ちょっと複雑な思いがするのがこれ。(その隣も)
門も塀も撤去したみたいです。
確かにこの方が車の出し入れとか都合がいいんですけどね。。
現代生活に合わせた合理的なチョイスではあります。
でも人ごとながら、「門構えなくてホンマにええのん?」とちょっと思います。
家屋がなんとなく「わしら武家やで」的オーラを発しているように思えるのが救いです。
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うーむ。。
かつては間違いなく武家だったと思うんですが、その痕跡がありません。
明治政府の推進した四民平等の成果が実感できた気がします。
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屋敷が取り壊されています。ここもかつては間違いなく武家屋敷がありました。
家系が絶えたのか? 理由はわかりませんが、屋敷の残骸が限りなく哀愁を誘います。
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こちらは家屋が完全消滅。敷地内は草ボーボー。
門と塀だけが、「わしら、昔は武家やってんで」と強烈に語りかけてきます。
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そして究極がこれ。何もかも消滅。
立ち入り禁止の看板から、元は太田家の屋敷があったであろうことだけがわかります。
さて、この後この土地はどうなるんでしょうか。。。
ということで、武家屋敷通りの一本隣の通りの模様でした。
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